【だい3わ】こふみさんの探しもの【がんばらねばねば】
だい3わ:がんばらねばねば
(´0ω0)
こんにちは、こふみです。
今回も、おつきあいいただき、ありがとうございます。
私は、遅筆なので、Dr.かづきちさんと話して、ぼちぼち投稿させていただくことにしました。
今回の探しものは、「がんはらねばならない」とのつきあい方です
あなたにも、「〜ねば」がありますか?
同じ「ねば」でも、Dr.かづきちさんと、私の共通点は、ねばねばの納豆好きという点。
Dr.かづきちさんは、おやつ代わり、私は、体調不良でも納豆だけは吐かないという違いはありますが。
ぐるぐるネバネバがんばらねば???
「がんばらねばならない」
私は、冬になると小学校のグランドが、スケートリンクにかわる場所で育ちました。
3歳の頃から、スケート靴をはき、小学3年生の頃には、500mリンクを20周、10km連続で滑る課題を与えられていました。
リンクサイドでかけられる言葉は、
「がんばれ、がんばったらできる!
がんばらないで、キツイことから逃げていたら、一生逃げ回る人生だぞ!」
どこかで聞いたようなセリフだと、苦笑している人がいるかも知れません。
その頃は、根性!が影の主役のようなスポーツマンガ全盛の時代。
苦しくても、悲しくても、がむしゃらに体を動かしていれば、早く動ける。つまり、脊髄反射が早くなるために、がんばることが必要。
動きを頭で理解しないと、カラダが動かない私には、そのような練習方法は合っていませんでした。
しかし、リンクサイドの言葉は、家庭生活、学校の勉強のことなど、様々な場面に拡散。
いつでもどこでも、「がんばらねばならない」・・・
いつのまにか、「がんばらねばならない」に、ぐるぐる巻きにされていました。
さて、人が行動する動機には、いいことがあるから行動する、いやなことを避けるために行動する、いわゆる「アメとムチ」があります。
振り返ると、わたしの「がんばらねばならない」は、アメではなく、ムチへの恐怖から。
「がんばらない」とダメな人生しか送れない。
身近な人から、ダメな人間だと言われれ、不要な人間だと、見捨てられるかもしれない。
見捨てられる不安といえば、20年前に出会った言葉があります。
ある聖職者の女性の言葉として、雑誌か何かに紹介されていたのですが、
「この世でもっとも悲しいことは、貧困でも病気になることでもない。
それゆえ、誰からも必要とされず、自分はこの世に不要な存在だと思うことだ。」
私は、見捨てられる不安から、「がんばらねばならない」に縛られ、いつも、何かに追われているような感じでした。
いつまでも縛られっぱなしでいるのは苦しいですよね。
ではどのようにして抜け出したらいいのでしょうか。
次回、一緒に探してみましょう。