【diary74】Dr.かづきちの闘病日誌【地獄の1ヶ月】
74 地獄の1ヶ月
前回、復職2日目の業務で、自分の能力が大幅に低下していることを知ってしまったかづきち。
絶望のあまり、辛くて辛くてたまらない状態になってしまいました。
そして家に帰ったのですが、やはりまたフラッシュバックによるパニック状態に陥ります。
復職2日目の帰宅後、かづきちの状態は明らかに1日目より悪化していました。
帰ってきたかづきちは、目を見開いて、背は曲がり、体の筋肉という筋肉に力が入っていました。
そして、居間の椅子に座ると、虚空を見つめひたすら貧乏ゆすりをしているのです。
明らかにとんでもなく悪い状態です。
このままではどうしようもないので、くましゃんはかづきちをベッドで寝かせようとしたのですが…
ベッドに寝かせた瞬間に、またフラッシュバックを起こし、前日よりもひどい状態に…。
かづきちは、ひたすら「痛い、痛い!」「怖い怖い!!!!」「助けて!!!」と激しく叫びながら、10分以上ベッド上で暴れていました。
あまり痛いというので、かづきちの腎臓の傷が再出血したのではないかと心配になるほどでした。
ひどく暴れるので布団は今にも破けそう。
くましゃんは暴れるかづきちに薬を飲ませ、「大丈夫、ここは家だから。もう入院は終わったの。大丈夫、大丈夫。」と何度も言い聞かせました。
30分以上たってようやく発作が落ち着き、かづきちは眠ってしまいました。
くましゃんはこんなかづきちをみて辛くて、心が痛くて、とても消耗しました。
自身のうつの状態があまり良くなかったのですが、かづきちのことで必死でした。
かづきちをこんな状態にしてしまった元主治医を心の底から恨みました。
何度も何度も、元主治医に対するどす黒い感情がくましゃんの心の底から湧きあがってきました。
かづきちが目覚めた時、もう夜になっていました。
目の前には疲弊したくましゃんがいます。
かづきちは何が起きたのか全く覚えていませんでした。
きっとくましゃんがお薬を飲ませてくれたのだろう。そして、対処してくれたのだろう…。
本当にごめんね、くましゃん。ごめんね、ごめんね…
くましゃんも病気で辛いのに、負担をかけてごめんね…
こうして、復職後たった二日で、二人はボロボロになってしまいました。
※現実はこんなにかわいくはありません↑
次の日、復職3日目の朝を迎えました。
もうかづきちには起き上がる力もありませんでした。
結局、精神科のF先生と相談し、その日はお休みをもらうことになりました。
この時は一度休んだのちに回復したため、次の日病院に行くことができました。
しかしそれも長く続きません…。
その後、かづきちは何度もフラフラ状態で職場に行っては、帰って来てからひどいフラッシュバックを繰り返しました。
1ヶ月の間、ほぼ毎日フラッシュバックと戦い続けました。
まさに地獄です。
復職直前にはかなり気力が回復していたかづきちですが、見る影もない状態になってしまいました。
さらにくましゃんも、かづきち同様にげっそりとやつれてしまっていました。
そんな状態を見かねたF先生は、二人にある提案をするのです。
次回→復職中断
※この時のくましゃん
くましゃんは、うつで休職したのち、非常に状態が悪かったため複数の薬を併用せざるを得なくなりました。
そして薬が合わず、ひどい副作用が出ては薬を変更し、また副作用がでては薬を変えるということを繰り返していました。かづきちがPTSD・うつから復職するとき、くましゃんは発症時から10kg以上痩せほそり、さらにかづきちの毎日フラッシュバックのせいでさらに痩せ細ってしまいました。
多い時は1日20錠以上の薬を飲んでいたくましゃん、それでもうまく眠ることはできず、体調はなかなか回復しませんでした。さらにかづきちのフラッシュバックが追い討ちをかけ、くましゃんに凄まじいストレスをかけました。こんな状況のくましゃんが良くなり始めるのは、まだずっと後になるのです。
※※ 2021年1月のかづきち
SNSでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、新年早々フラッシュバックに見舞われ、体調が悪かったためブログの更新を控えておりました。お待たせしてしまって申し訳ありません。現在は安定し、頓服薬も飲まずに過ごせていますが、あれから病院に行くと動悸がするのが再発しました。もう慣れるしかないのですが、来週は大病院への受診が控えているのでドキドキしています。症状が出ないでいてくれることをひたすら祈っています。
PTSD発症から3年と半年以上が経過していますが、まだまだ治る気配はありません。もちろん良くなってはいます。あと数年?いや十数年?いや一生?PTSDさんとお付き合いしていくのか…「はぁ」とため息が出ますね。
闘病日誌は年内に書き終わるのを目標にしています。最後までどうぞよろしくお願いいたします。