【diary75】Dr.かづきちの闘病日誌【復職中断、再休職】
前回→ 地獄の1ヶ月
75 復職中断、再休職
前回、1ヶ月にわたって出勤と休みを繰り返し、フラッシュバックと戦い続けたかづきち。
そして、そんなかづきちのために頑張ったくましゃん。
そんな状態を見かねたF先生は、二人にある提案をするのです。
復職して約1ヶ月たった精神科F先生の診察日。
診察室に入ってきたかづきちをF先生は悲痛な面持ちで見つめていました。
見かねたF先生は、ついにある提案をしました。
「もう一度休職しませんか?」
それを聞いたかづきちはショックでした。
毎日フラッシュバックを繰り返す地獄にいるいま、助かる方法は再度の休職しかないと頭では分かっていました。
しかし、ようやくこぎつけた復職。
ここで諦めたら次はいつ戻れるのかわからない。激しい不安に襲われました。
加えて、あと2ヶ月で年度が変わり、かづきちは次の研修先K大学病院に移らねばなりません。
そんな時期に休職していたら、今後どうなるかなんて全くわかりません。
しかも、あのK先生がK大病院の担当者にきちんと引き継ぎをしてくれるなんて、到底考えられません。
かづきちは、不安な気持ちをF先生に率直に伝えました。
その時、F先生が言われた言葉を今でも覚えています。
「K大病院の担当者には僕が連絡するから、安心して休職していいですよ。」
かづきちは救われる思いがしました。
このF先生の言葉で、ついに休職を決断したのです。
胸が張り裂けるように辛かったですが、とにかく次のK大病院に行くまでになんとか治すんだと覚悟を決めました。
くましゃんもそんなかづきちを応援してくれました。
こうして、かづきちのF病院での仕事は、辛い記憶と消えない傷を残し、休職とともに幕を下ろしました。
次回 → 二度目の休職
※ PTSDとうつからの復職はたった1ヶ月で再休職という形で終了しました。
実際に病院で勤務できたのは五分の三程度の日数のみでした。後で分かったのですが、この日数は私が研修を行った期間に全く含まれていません。記録は消されています。1日も病院に行かなかったとしてで処理されているのです。日数管理担当のK先生が、次の研修先であるK大病院に申告しなかったようです。地獄の1ヶ月は書類上は「無」となってしまいました。
この1ヶ月間、一人の患者さんを担当し、お薬の処方や診察などを行ってきました。とても辛い期間ではありましたが、唯一救われたのは患者さんとお話ししている時でした。患者さんはかづきちが病気で大変だったということをご存知でした。診察の時に、お互いに辛い状況にあることを話したり、患者さんの趣味やこれからしたいことなどを聞いていると、とても心が楽になりました。
そして、再度休職した後も患者さんの笑顔を思い出すことで、また患者さんに会えるように自分も頑張ろうと思うことができました。この患者さんとの時間が、今の私が前向きに過ごすための力になっています。
できたらこの患者さんにもう一度お会いしたい…、この方だけでなく、私が入院していた時にお見舞いに来てくださった担当患者さん達にももう一度会いたいです。あんなにボロボロだったけれど、自分はここまで良くなったよと伝える日が来ることを祈っています。